512.「★近況・その2:出版報告・出演報告など」

※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。

★近況・その2:出版報告・出演報告など

暑いです。元気です。

◆7月某日。近所の某図書館にてプチ調べもの。受験屋・世界史の延長で興味も広がる。そんな最近のテーマのひとつに、江戸時代の学者の話。僕も受験生の時にはあれこれ名前を覚えはしたが、あまり関心がわかなかった。でも齢のせいか、今は少し違う。

まず、富永仲基18C前半)。大坂の町人。大乗仏典を研究するうち、互いに相容れない教義や矛盾する教えが数々あることに気づき、これらの仏典は本来の釈迦の教えではなく後世に編纂される過程で様々に歪曲されている、と断定した。(本HP前々回の「読書日記」にも関連。)

また、伊藤仁斎(主に17C後半)。朱子学を学び、そこに生じた疑問からやがてこれを徹底的に批判(王陽明に似ている!)。朱熹のいう「理」は、孔子の『論語』の思想から逸脱、これを歪曲し、人間愛に反する「残忍刻薄」の論理であると。江戸幕府のもと儒学の正統派とされた朱子学を否定するのだから、これは大変だ。彼は、孔・孟の古典、すなわち「古義」に戻るべく、京都に私塾「古義堂」を開き、荻生徂徠らに影響を与えた。

彼らの共通点は、疑問をごまかさず、その大前提たる権威の源を疑うという発想の転換と批判精神。時の体制教学を否定する大胆さ。その破壊力を支える知的根拠、などでしょうか。

世界史屋は、ついついや、朱子学を絶対視した朝鮮王朝(李朝)の状況と比較してみたくなる。

幕藩体制下すでに蘭学に関心を持つ知識人が多かったというのも、ある面では儒学と漢籍による文化を相対化、ないしこれ自体に抵抗する志向もあったといわれる点も含め。

ペリー来航以前から、西欧近代を受容する思想的基盤は、すでに醸成されていた、わけか…。

 

◆7月某日。新刊本の見本が届く。昨年末から改訂作業を手掛けていた本がようやく発刊となりました。

△拙著『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社)。(報告、遅れてゴメンなさい。怠慢でして。)
 以下、宣伝です。
 特に、まだ受験を経験していない現役生の諸君が考えている以上に、文化史は入試に出る!なぜか。教科書は主に文学部・史学科の先生方がつくる。すると各単元は、まず政治史、「○○朝の××△世が…」。次に、社会経済史が来て、最後の1~2ページに、学者さんの名前と本のタイトルが並ぶ。「△△さんが××書いた」。たいていの人が、期末試験の前の晩に覚えて、すぐ忘れる、、?(一番イヤな「暗記知識の山」)。

ところが、入試問題は必ずしも歴史学の先生が作るとは限らない。特に、私立大ならば経済・法・商・社学etc.各分野の専門家で、世界史の問題くらいは作れちゃう。慶応・商などは典型ですが。当然、こうした分野の専門家にとっての「世界史」では、政治家以上に、法学者、経済学者、哲学者たちが活躍する。
 つまり、「ソロンの改革よりアリストテレスルイ14世よりヴォルテールが、入試には出る」わけです。
 また、入試問題で問われる文化史知識は、政治上の事件にひっかけて文化史を問うのも常套手段。例:「名誉革命」でその正当性を唱えた人は?→J・ロック。

したがって、エピソードも意外と大事。例えば、学者さんと政治家のお付き合い、有名な事件と絵描きさんの関わりetc.は、絶対チェック!

以上より、本書の方針は「少し深堀りすれば水脈がつながり、やがて骨太なロジックが見えてくる!」です。

結果的に「世界史=暗記科目」の中でも特に「悪の巣窟」のような分野に切り込む試み、です(あまり類書はないはず)。

 

※ここだけの話だけど、僕の文化史ネタの多くは、かつて担当した河合塾サテライト講座「頻出・目で見る世界文化史―攻略のストラテジー・完全版―」(200002の3年間)の時期に蓄積したものも多い。この時の方針が「結局は、“単純な暗記の山”から受験生諸君をいかに解放するか、という要請からすべてが組み立てられた」講座でした。(結果、「記録的数字です」[当時の担当職員さんの弁]のヒット講座でした。若かったね。あの頃は…。笑)

 

◆7月某日、You Tube(?)とかの「すずゆうチャンネル」に出演しました。主宰:鈴木悠介先生。今や大活躍中!以前から、拙著『パノラマ世界史』を高く評価してくれているのは聞き及び、恐縮おりました。この度、ついに出演させて頂くことになりました。なにしろ、カメラの前でしゃべるというのが、考えてみれば超・久しぶりで……(汗)。

→おヒマのある方。御笑覧を!

 

◆以下、続報も予定中。――――8月21日、記 


★神余秀樹プロフィール

 1959年、愛媛県に生まれる。1978年、広島大学文学部史学科東洋史専攻に入学。中国農村社会史に関心。1980年3月に訪中。解体寸前の人民公社の実地見学や劉少奇の名誉回復など、“脱・文革”の流れを実感。韓国・朴正熙政権の経済構造に関する研究会の他、露・ナロードニキの“非西欧性”と文学の関係には没入(大学の単位制度は無視)。丸山真男の超国家主義論、竹内好の魯迅論、三浦つとむ「官許マルクス主義」批判や、高野孟『インサイダー』に強く影響を受けた。意図的・計画的な留年2年を経て(当時、学費は安かった)卒業後、電気通信系の民間企業を経て塾業界へ。世界史の“情報職人”となる。

198990年、在英日本人高校の講師として英国在住。産業革命遺跡などを巡る一方、崩壊直前の“ベルリンの壁”、東欧・民主化革命の現場を見る。(その後も、パレスチナ和平に揺れるエルサレム[1996]、中国への返還前夜のポルトガル領マカオ[1999]など、歴史の積み重なった現場の数々を歩いた。)
 帰国後は河合塾世界史講師として30年余り。地図と年表を組み合わせて俯瞰する立体的マトリックスの手法をめざす。講義のほか模試の作成、難関大対策業務の数々、高校の先生方対象の入試研究会や研修なども歴任。

大学の市民講座は頻繁に聴講。近年は、歴史の底流たるマネーの流れにもこだわる。

目標は「難しいことを易しく、易しいことを面白く、面白いことを深く」。

 

★著書

『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版、2015改訂版)

『タテヨコ世界史 総整理・文化史』(旺文社、2009初版、2022改訂版)

『超基礎固め 神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018