364.「★感染症の世界史3(拙著より・蛇足)」

※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。

★感染症の世界史3(拙著より・蛇足)

 

column 感染症との闘い〈日清戦争について〉

下関条約後、台湾現地住民の抵抗(台湾民主国)を日本軍は抑え込みます。その最大の敵となったのは感染症でした。実は日清戦争の日本軍将兵の犠牲者の約8割はこの台湾領有戦で、しかもその9割はマラリア・コレラ・赤痢などによる病死でした。したたかな李鴻章は日本軍が台湾支配に手を焼くことをほぼ予測して割譲に応じたらしい。それを見事に克服したのが台湾総督府の民政長官後藤新平による衛生環境の整備でした。(後藤はのち関東大震災後の東京の再生などにも尽力します。)   

――――拙著『パノラマ世界史(下)』[学研プラス、2015

※なお、典拠は飯島渉『感染症の中国史』[中公新書、2009]より

 

 

column パストゥールv.s.コッホ――――独仏抗争と細菌学

「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」パストゥールが研究所を設立した際の言葉です。彼は、ワイン醸造業者の依頼で、ワインの腐敗の問題を解決。1865年、南仏に大発生した蚕の伝染病の対策に成功しフランス養蚕業の危機を救いました。ワインや絹織物業の繁栄が普仏戦争(187071)の賠償金支払いを可能とした点でも、パストゥールはフランスの救世主でした。さらに狂犬病ワクチンを製造。狂犬に咬まれた少年の命を救った(1885)ことも有名。(これは、英国のジェンナーが1796年に牛痘で行ったワクチンの免疫療法を応用したものです。)パストゥール研究所のライバルが、ドイツのコッホ研究所でした(これに日本の北里研究所を加え“世界の三大伝染病研究所”とされた)。のちの1940年、ナチス=ドイツ軍によりフランスが占領された際、パストゥール研究所の地下にてパストゥールの眠る墓の鍵を渡せと要求するナチスに抵抗して老守衛が自ら命を絶ちます。彼は55年前に狂犬病から救われた少年でした。

      ――――拙著『世界史×文化史 集中講義12』[旺文社、2009


〈神余秀樹先生プロフィール〉

 1959年、愛媛県に生まれる。広島大学文学部史学科卒。民間企業勤務などを経て受験屋業界の“情報職人”となる。あふれる情報の山に隠れた“底の堅い動き”。“離れて見ればよく見える”。さらに“常識から疑え”。そんな点も世界史のすごみかと思う。

 目標は「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」。学校法人河合塾世界史講師。

【著書】

『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版・2015改訂版)

『世界史×文化史集中講義12』(旺文社、2009)

『超基礎・神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)