362.「★感染症の世界史(あいらんど版)1〈18世紀以前〉」

※神余くんの世界史あいらんど…河合塾世界史講師「神余秀樹」先生(吉崎の恩師)の“ちょっとdeepな”世界史をご紹介します。

感染者数は国民の半数を超え、日本での死者は45万人!

 1918年(大正7)からのいわゆる「スペイン風邪」の数字です。当時の日本の人口が5.500万人程度。つまり今の半分以下だったことを考えると、これは凄い数です。(当時の「日本領」であった台湾・朝鮮を含めると死者は74万人に及ぶ。)

全世界での死者は約2000万とも約5000万とも。世界大戦(第一次)の死者数約850万人(~約1000万)を、とにかく軽く凌駕する。(※世界全体の死者数については種々の推定値に開きが大きい。詳細はのちほど。)

 以前から気になっていたテーマです。

少し調べてみました。

 

★感染症の世界史(あいらんど版)1  〈18世紀以前〉

 

約1万年前、農耕・牧畜の開始による灌漑水路に蚊が発生→mala aria(悪い空気)

古代エジプトのミイラからマラリア原虫が発見される。また、ハンセン病の痕跡もあり。

※感染力は微弱、発症も希少だが、20世紀に特効薬が開発されるまで差別と偏見の対象となる。

△前431~、ペロポネソス戦争の緒戦、籠城戦により“密”が生じたアテネで疫病(実態は不詳)が発生。指導者ペリクレスも病死(前429)→衆愚政治へ(トゥキディデスが記録)。

アレクサンドロス大王の病死はマラリアによるとの説が有力らしい(ユーフラテス河畔のバビロンの蚊によるものか?)。

 

△ローマ帝国の水道橋浴場などの都市設備が感染症の拡大を抑止した面もあるかと。

△地中海世界のローマ帝国、中華世界の秦漢帝国。奇しくもともに人口約6000。洋の東西2つの6000万帝国は、3世紀以降、ともに“危機”を迎え、4・5世紀の寒冷化のなか崩壊へ。人口激減または絶滅、民族移動戦乱…。ローマ帝国の崩壊期に一神教が拡大(紅海岸のメッカも含め)。聖女・聖人伝説の各所に疫病が関連する。“食人”が常態化する中華世界についてはまた別の機会に。

 

6世紀半ばのペスト流行。ビザンツでは皇帝ユスティニアヌスも罹患。首都コンスタンティノープルでは死者が続出etc. この頃、長期にわたり陽の光が遮られ、農業は不作、全世界的にも寒冷化現象がみられた。「太陽が隠れた」という類の記録は中国・日本などにも登場する(のちの神話・伝承の形成にも影響か。)

これについては、現ジャワ島・スマトラ島間(それまでは陸続きだったらしい)の火山の大爆発により吹きあげられた灰が、数年間にわたり全地球規模で太陽光線をさえぎった結果との説が注目される。(デヴィッド・キーズ『西暦535年の大噴火』[文藝春秋、2000年])

 

14世紀のペスト大流行。まず中国で拡大(雲南から)。救いを求める農民反乱は宗教色を帯び(1351~、紅巾の乱)元から明への交代にも影響。モンゴル・ネットワークの駅伝制(站赤[ジャムチ])によりペスト菌は黒海経由でジェノヴァから西欧に上陸。「3人に1人が死亡」は、中国の惨状に比べればまだ軽い数字らしいが、ボッカチオ『デカメロン』の背景となったことなどは有名(先日実施の共通テストでも出題され少し話題に)。イブン・バトゥータの旅行記にも登場。カイロは「ネクロポリス(死者の町)」と呼ばれた。

 

15世紀末、大航海とともに新大陸からは梅毒が西欧へ。「フランス病だ」「いやスペイン病だ」と感染源をめぐる責任の押しつけ合いが生じるのも歴史の常か。豊臣秀の朝鮮出兵159297)の軍でも梅毒が広がる。また逆に、西欧から持ち込まれた天然痘が新大陸で流行。先住民の人口が激減した話はもはや有名か。(16世紀のグローバリズムを日本では「戦国時代」と呼ぶことについてもまた別の機会に。)

 

17世紀のペスト14世紀と同じく寒冷化とともに拡大。例えば、ケンブリッジ大学も閉鎖状態となったらしく、帰郷したニュートンがリンゴの落ちるのを見て万有引力を発見したとの話もあるらしいが…。そんなことより、魔女狩りが横行するのもこの時期のこと。(「中世の魔女狩り」は事実に反し、正しくは「近世の魔女狩り」と。)

『ロビンソン=クルーソー』で知られるデフォーの『疾病流行記』(1722年)はロンドンのペスト流行を記す。

(※)寒冷化でペストが拡がる理由について。農業生産の減退が人々の抵抗力を奪うことに加え、ペスト菌を拡散させるクマネズミの天敵たる小動物の動きが減少することなども原因とされます。

――――続く―――― 


〈神余秀樹先生プロフィール〉

 1959年、愛媛県に生まれる。広島大学文学部史学科卒。民間企業勤務などを経て受験屋業界の“情報職人”となる。あふれる情報の山に隠れた“底の堅い動き”。“離れて見ればよく見える”。さらに“常識から疑え”。そんな点も世界史のすごみかと思う。

 目標は「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」。学校法人河合塾世界史講師。

【著書】

『神余のパノラマ世界史(上・下)』(学研プラス、2010初版・2015改訂版)

『世界史×文化史集中講義12』(旺文社、2009)

『超基礎・神余秀樹の世界史教室』(旺文社、2018)